全国の商業高校が、いま岐路に立たされている。文部科学省の学校基本調査によると、商業科を持つ高校は全国で655校(2023年時点)、全高校の約1割を占めるが、少子化と進学志向の高まり、そして産業構造の変化により、定員割れの状態が常態化している地域も多い。
こうした状況の中、地域の学校としての役割を終えるか、それとも新たな教育モデルとして再構築されるか。その分かれ道に立っているのが「商業高校」だ。私が教授を務める武蔵野大学アントレプレナーシップ学部は、岐阜市と包括連携協定を締結しており、それを契機に岐阜市立商業高校の学生や教員の方とも接点をいただいてきた。そこで、今回は地域における商業高校について考えてみたい。

※2023年10月30日に実施された連携協定締結式後の意見交換会の様子
私は、この状況をむしろ好機と捉えている。商業高校こそ、いま最もアントレプレナーシップ教育の拠点として生まれ変わる可能性を秘めているからだ。
「商業」という言葉を英訳すると「コーマス(Commerce)」だが、今この言葉が指す意味は21世紀の現実とは乖離しているように思う。商業高校は英語で、Commercial High Schoolと表記するが、むしろ、英語で言うところの“ビジネス”——つまり商業高校を「ビジネススクール」と捉え直すことで、その教育の軸を大胆にアップデートできるのではないか。
小学生でも始められる、ビジネスの実践
ビジネスの始まりは、もっとずっと小さなところにある。たとえば、私の次女は小学4年生のときに「ココズコーヒー」という名前で、自家焙煎コーヒーの家庭販売を始めた。最初は家族に一杯100円で売る“家庭内カフェ”からスタート。珈琲店で仕入れた豆を使ってドリップし、原価と利益を記録しながら販売を続けた。

しばらくして次女はこう書いた。
「1400円稼いだ。でもこれは“稼いだ”とは言えません。元手の1400円を回収しただけだから、ここからが“もうけ”です」
これが小学4年生の言葉なのかと、私も正直驚きました。というのも、彼女は誰に教わるでもなく、実践を通じて“損益分岐点”の概念に自然と気づいていたのである。
さらに、彼女はネットショップでオリジナルのコーヒーブレンドを販売するようになる。(もちろん、私たち親が一緒にガイドしたわけだが)焙煎所にいき、自分で味を試し(こどもなのでコーヒーは美味しくない…ので、コーヒー牛乳用のコーヒーブレンドを作る)、自分で書いたイラストでラベルを作成し、販売。出店には無料サービスを活用し、初期費用はほぼゼロ。販売もSNSなどの無料ツールで完結した。
マンゴージュース専門店を中2でトライ
長女もまた、中学2年生で「マンゴージュース屋さんをやりたい」と言い出した。きっかけは、旅行先で出会った一杯のマンゴーシェイク。「地元にないなら、自分でつくればいい」と発想し、必要な食品衛生責任者の講習をじぶんでネット検索し、調べて受講。許可を取得して、実際にイベント出店し、販売することができました。
この二人の挑戦から学べるのは、「ビジネス」は、ガイドさえいれば子どもだとしても、誰にでも始められるということだ。必要なのは、「ちょっとやってみよう」という好奇心と、「やってみることを許してくれる環境」だけ。
商業高校こそ、“やって学ぶ”実験場に
実店舗を一から立ち上げなくても、まずはネットショップを作ってみる。SUZURIなどを使えば、自分の描いたイラストをTシャツやマグカップとして1こから販売できる。ZINEを出してもいいし、ハンドメイド作品でもいい。現代のツールを活用すれば、在庫リスクも資金負担も最小限に抑えられる。メルカリショップやBASEであれば、無料で出店できるし、SNSで発信したりブログを使って情報発信をすることもできる。
こうした取り組みは、マーケティング、原価管理、ブランディング、顧客対応……ビジネスの基礎をすべて内包している。しかも“自分の体験”として刻まれる。失敗してもいい。売れなかった理由を考え、次の一手を打つ。その繰り返しが、最も実践的な学びとなる。
そしてその先には、社会に出てからも通用する「当事者意識」が育まれる。これは、ビジネスに限らず、働き方、生き方そのものを支える力になる。
AI時代だからこそ、人間にしかできない“実践力”を
AIの進化はめざましい。情報の収集、分析、提案はすでにAIが代替可能になっている。ChatGPTをはじめとする生成AIは、私たちの仕事や学びの方法そのものを変えつつある。
では、私たち人間がAIにできないことは何か?
それは、「やってみること」「現場で判断すること」「人と関わりながら価値を生むこと」だ。
つまり、“実践”の部分は、まだまだ人間にしか担えない領域である。そして、この実践力こそが、アントレプレナーシップの核だ。商業高校は、まさにそれを育てる場になり得る。
地域を巻き込んだ“挑戦の場”へ
岐阜市の柳ケ瀬商店街のように、商業地が再生を模索するタイミングで、商業高校生が挑戦する場所を地域内に設けることも大きな意義がある。たとえば、長期休暇に「高校生マーケット」を開催してはどうか。生徒たちが地元の空き店舗や公共施設を借り、ポップアップストアを開く。実際に、県立岐阜商業高校は、学生たちが出資して株式会社を設立し、商店街に出店をしたり、マーサ岐阜という商業施設にポップアップ出店したりしている。
大人の本気の支援があれば、こうした仕組みは容易に実現できる。そして、実際に売れた・売れなかった体験を通じて学ぶことの価値は、何よりも大きい。

※武蔵野大学に訪れ大学生と談笑する、市岐商の高校生
教室から社会へ。教科書から実体験へ。
これからの商業高校は、教室の中だけで完結する教育ではなく、地域とつながりながら、現実の社会の中で学ぶ教育へと変わっていくべきだ。「学んでからやる」ではなく、「やりながら学ぶ」へ。まさに、商業高校は“未来のビジネススクール”であるべきだ。そして、みんなでやるのではなく、どんどんそれぞれが始めると言うことを学校として後押ししてはどうだろうか。
15歳になったら、店を持て。
それは単なる挑発ではない。すべての若者が、主体的に生きる力を身につけるための宣言だ。商業高校がその旗手となる未来を、私は本気で信じている。
こうした状況の中、地域の学校としての役割を終えるか、それとも新たな教育モデルとして再構築されるか。その分かれ道に立っているのが「商業高校」だ。私が教授を務める武蔵野大学アントレプレナーシップ学部は、岐阜市と包括連携協定を締結しており、それを契機に岐阜市立商業高校の学生や教員の方とも接点をいただいてきた。そこで、今回は地域における商業高校について考えてみたい。

※2023年10月30日に実施された連携協定締結式後の意見交換会の様子
私は、この状況をむしろ好機と捉えている。商業高校こそ、いま最もアントレプレナーシップ教育の拠点として生まれ変わる可能性を秘めているからだ。
「商業」という言葉を英訳すると「コーマス(Commerce)」だが、今この言葉が指す意味は21世紀の現実とは乖離しているように思う。商業高校は英語で、Commercial High Schoolと表記するが、むしろ、英語で言うところの“ビジネス”——つまり商業高校を「ビジネススクール」と捉え直すことで、その教育の軸を大胆にアップデートできるのではないか。
小学生でも始められる、ビジネスの実践
ビジネスの始まりは、もっとずっと小さなところにある。たとえば、私の次女は小学4年生のときに「ココズコーヒー」という名前で、自家焙煎コーヒーの家庭販売を始めた。最初は家族に一杯100円で売る“家庭内カフェ”からスタート。珈琲店で仕入れた豆を使ってドリップし、原価と利益を記録しながら販売を続けた。

しばらくして次女はこう書いた。
「1400円稼いだ。でもこれは“稼いだ”とは言えません。元手の1400円を回収しただけだから、ここからが“もうけ”です」
これが小学4年生の言葉なのかと、私も正直驚きました。というのも、彼女は誰に教わるでもなく、実践を通じて“損益分岐点”の概念に自然と気づいていたのである。
さらに、彼女はネットショップでオリジナルのコーヒーブレンドを販売するようになる。(もちろん、私たち親が一緒にガイドしたわけだが)焙煎所にいき、自分で味を試し(こどもなのでコーヒーは美味しくない…ので、コーヒー牛乳用のコーヒーブレンドを作る)、自分で書いたイラストでラベルを作成し、販売。出店には無料サービスを活用し、初期費用はほぼゼロ。販売もSNSなどの無料ツールで完結した。
マンゴージュース専門店を中2でトライ
長女もまた、中学2年生で「マンゴージュース屋さんをやりたい」と言い出した。きっかけは、旅行先で出会った一杯のマンゴーシェイク。「地元にないなら、自分でつくればいい」と発想し、必要な食品衛生責任者の講習をじぶんでネット検索し、調べて受講。許可を取得して、実際にイベント出店し、販売することができました。
この二人の挑戦から学べるのは、「ビジネス」は、ガイドさえいれば子どもだとしても、誰にでも始められるということだ。必要なのは、「ちょっとやってみよう」という好奇心と、「やってみることを許してくれる環境」だけ。
商業高校こそ、“やって学ぶ”実験場に
実店舗を一から立ち上げなくても、まずはネットショップを作ってみる。SUZURIなどを使えば、自分の描いたイラストをTシャツやマグカップとして1こから販売できる。ZINEを出してもいいし、ハンドメイド作品でもいい。現代のツールを活用すれば、在庫リスクも資金負担も最小限に抑えられる。メルカリショップやBASEであれば、無料で出店できるし、SNSで発信したりブログを使って情報発信をすることもできる。
こうした取り組みは、マーケティング、原価管理、ブランディング、顧客対応……ビジネスの基礎をすべて内包している。しかも“自分の体験”として刻まれる。失敗してもいい。売れなかった理由を考え、次の一手を打つ。その繰り返しが、最も実践的な学びとなる。
そしてその先には、社会に出てからも通用する「当事者意識」が育まれる。これは、ビジネスに限らず、働き方、生き方そのものを支える力になる。
AI時代だからこそ、人間にしかできない“実践力”を
AIの進化はめざましい。情報の収集、分析、提案はすでにAIが代替可能になっている。ChatGPTをはじめとする生成AIは、私たちの仕事や学びの方法そのものを変えつつある。
では、私たち人間がAIにできないことは何か?
それは、「やってみること」「現場で判断すること」「人と関わりながら価値を生むこと」だ。
つまり、“実践”の部分は、まだまだ人間にしか担えない領域である。そして、この実践力こそが、アントレプレナーシップの核だ。商業高校は、まさにそれを育てる場になり得る。
地域を巻き込んだ“挑戦の場”へ
岐阜市の柳ケ瀬商店街のように、商業地が再生を模索するタイミングで、商業高校生が挑戦する場所を地域内に設けることも大きな意義がある。たとえば、長期休暇に「高校生マーケット」を開催してはどうか。生徒たちが地元の空き店舗や公共施設を借り、ポップアップストアを開く。実際に、県立岐阜商業高校は、学生たちが出資して株式会社を設立し、商店街に出店をしたり、マーサ岐阜という商業施設にポップアップ出店したりしている。
大人の本気の支援があれば、こうした仕組みは容易に実現できる。そして、実際に売れた・売れなかった体験を通じて学ぶことの価値は、何よりも大きい。

※武蔵野大学に訪れ大学生と談笑する、市岐商の高校生
教室から社会へ。教科書から実体験へ。
これからの商業高校は、教室の中だけで完結する教育ではなく、地域とつながりながら、現実の社会の中で学ぶ教育へと変わっていくべきだ。「学んでからやる」ではなく、「やりながら学ぶ」へ。まさに、商業高校は“未来のビジネススクール”であるべきだ。そして、みんなでやるのではなく、どんどんそれぞれが始めると言うことを学校として後押ししてはどうだろうか。
15歳になったら、店を持て。
それは単なる挑発ではない。すべての若者が、主体的に生きる力を身につけるための宣言だ。商業高校がその旗手となる未来を、私は本気で信じている。
