2014年9月に 内閣官房に「まち・ひと・しごと創生本部」が設置され、地方創生という言葉が一気に広がりました。これまでも地域活性化やまちづくりといった言葉が語られてきましたが、地方創生とは何でしょうか。制度でしょうか。補助金でしょうか。あるいは大型開発でしょうか。
岐阜県瑞浪市で開催された「バサラ瑞浪「踊りと出会って30年」イベント」に参加し、その問いに対する答えを改めて実感しました。地方創生とは、結局のところ「手を挙げて行動する人がいるかどうか」なのだということです。

※30年記念イベントで踊りを披露するバサラ瑞浪(筆者撮影)
岐阜県瑞浪市は、慶長11年(1606年)に仮宿が設けられ、同15年(1610年)に中山道細久手宿として正式に公認された歴史を持つ町です。江戸時代末期には24軒の旅籠が軒を連ね、尾張藩本陣であった「大黒屋」は現在も営業を続けています。瑞浪は400年以上前から、人を迎え入れ、人が交わることで価値を生み出してきた土地なのです。その後、美濃焼の産地として栄えてきました。
しかし、20世紀後半以降、社会構造の変化や地場産業の転換、少子高齢化の進行により、中心市街地は空洞化という課題に直面しました。焼き物の町としての誇りはあっても、大きな社会の変化の中では困難の中にある、と言えるでしょう。
その転機が1997年です。瑞浪商店街のおかみさん会を中心に「踊りを通してひとづくり・まちづくり」を掲げ、バサラ瑞浪普及振興会が結成されました。行政主導ではありません。北海道のYOSAKOIソーラン祭りに訪れ「地元・瑞浪でもこんなお祭りを通じて地域を盛り上げたい」と瑞浪市出身の大学生・水野孝一さん(現・参議院議員)が奮闘する様子に、地元瑞浪を良くしたいと思う大人たちが共感し、行動を始めたことがきっかけなのです。

※会場で放送された20歳の水野孝一さん(筆者撮影)

※会場で、現在の水野孝一さんと(筆者撮影)
30年イベントのステージでは、その原点が何度も語られていました。瑞浪駅前で商売を営むの永冶高三さんが「この町を何とかしたい」と大学生・水野さんに呼応し、それに商店街おかみさん会の木股廣子さんが続いたこと…そこからすべてが始まったのだと。小さな決意が、30年続く文化へと発展したのです。
毎夏行われてきた瑞浪の夏祭り・美濃源氏七夕まつりにソーラン踊りが導入されたことで、祭りの様相は一変しました。それまでの「観る祭り」から「参加する祭り」へ。鳴子を手に、市民が自ら踊ることで、観客と演者の境界が消えました。祭りは消費型イベントから、共創型の祝祭へと転換したのです。

多くの人でで賑わう夏の美濃源氏七夕まつり(筆者撮影)
その集大成が、毎年12月に開催される瑞浪バサラカーニバルです。2025年の第26回大会では、180チーム、約8,000人の踊り子が参加予定と発表されています。小さな地方都市の単一市民イベントとしては極めて大きな規模です。8,000人の踊り子に家族や観客、スタッフを加えれば数万人規模の人流が生まれます。冬場の観光需要が低迷しがちな地方都市において、これは明確な経済効果をもたらす仕組みです。
飲食、宿泊、交通、陶磁器などの地場産品購入といった直接的効果に加え、「瑞浪」という地名そのものの認知向上という長期的波及効果も生み出しています。毎年訪れる踊り子は、「おかみさん」木股さんを慕い集まり、単なる観光客ではなく、瑞浪に愛着を持つ「関係人口」となります。
木股廣子さんは、日本料理店「日吉屋」の女将であり、バサラ瑞浪普及振興会会長。全国の踊り会場でマイクを握り、「日本列島まん真ん中、岐阜県瑞浪市は日本一の焼き物の町!」と口上を述べ続けてきました。
これは見方を変えれば、シティプロモーションです。文化活動を通じて都市ブランドを発信する。その中心に立つのが、地域の女性リーダーであるという点も象徴的です。「燃えて!踊って!恋して…バサラ」という掛け声は、単なるスローガンではなく、地域の人々に元気をもたらすキャッチフレーズだと感じました。だからこそ、市民によるいわばダンスチームにもかかわらず、瑞浪市の観光大使にも任命されているのでしょう。
また、バサラ瑞浪は20年以上にわたり瑞浪市内の小学校と連携し、児童への踊り指導を続けています。毎週木曜・日曜に公開練習会を開催し、多世代が同じ場で汗を流します。かつて踊った子どもが大人になり、自分の子どもと再び参加するという循環構造も生まれています。
さらに、バサラ瑞浪は国土交通大臣表彰「手づくり郷土賞」を受賞しています。商店街や学校という既存インフラに文化というソフトを組み込み、都市空間に新たな意味を与えた点が評価されたのです。これは単なるイベントではなく、無形の社会資本として認定されたということです。

※30年を振り返る木股さん(右)と、永冶昌代さん(左)
本日、30年の歴史を振り返る映像を観ながら、私は強く思いました。地方創生のキモは、行政による与えられた制度や、やってもらうものではない。自分たちの街の事は自分たちより良くしていくんだと言う姿勢。最初に手を挙げた人がいたこと。そしてそれに続いたフォロワーがいたこと。その連鎖こそが瑞浪を動かしてきたのです。
水野さんの行動、永冶さんの一言。木股さんの決意。
そこから始まった小さな火種が、8,000人を動かす文化へと育ちました。
鳴子の音が響く限り、人は集い、交わり、新しい価値が生まれます。
踊りを通して人をつくり、町をつくる。
地方創生とは、情熱を持って行動する人がいるかどうかに尽きるのだと思います。そして、行政の役割は、そうした民間主導の、市民から生まれる取り組みを後押しし、側面支援をすること。
バサラ瑞浪は、その事実を30年かけて証明してきたのだと思います。
岐阜県瑞浪市で開催された「バサラ瑞浪「踊りと出会って30年」イベント」に参加し、その問いに対する答えを改めて実感しました。地方創生とは、結局のところ「手を挙げて行動する人がいるかどうか」なのだということです。

※30年記念イベントで踊りを披露するバサラ瑞浪(筆者撮影)
岐阜県瑞浪市は、慶長11年(1606年)に仮宿が設けられ、同15年(1610年)に中山道細久手宿として正式に公認された歴史を持つ町です。江戸時代末期には24軒の旅籠が軒を連ね、尾張藩本陣であった「大黒屋」は現在も営業を続けています。瑞浪は400年以上前から、人を迎え入れ、人が交わることで価値を生み出してきた土地なのです。その後、美濃焼の産地として栄えてきました。
しかし、20世紀後半以降、社会構造の変化や地場産業の転換、少子高齢化の進行により、中心市街地は空洞化という課題に直面しました。焼き物の町としての誇りはあっても、大きな社会の変化の中では困難の中にある、と言えるでしょう。
その転機が1997年です。瑞浪商店街のおかみさん会を中心に「踊りを通してひとづくり・まちづくり」を掲げ、バサラ瑞浪普及振興会が結成されました。行政主導ではありません。北海道のYOSAKOIソーラン祭りに訪れ「地元・瑞浪でもこんなお祭りを通じて地域を盛り上げたい」と瑞浪市出身の大学生・水野孝一さん(現・参議院議員)が奮闘する様子に、地元瑞浪を良くしたいと思う大人たちが共感し、行動を始めたことがきっかけなのです。

※会場で放送された20歳の水野孝一さん(筆者撮影)

※会場で、現在の水野孝一さんと(筆者撮影)
30年イベントのステージでは、その原点が何度も語られていました。瑞浪駅前で商売を営むの永冶高三さんが「この町を何とかしたい」と大学生・水野さんに呼応し、それに商店街おかみさん会の木股廣子さんが続いたこと…そこからすべてが始まったのだと。小さな決意が、30年続く文化へと発展したのです。
毎夏行われてきた瑞浪の夏祭り・美濃源氏七夕まつりにソーラン踊りが導入されたことで、祭りの様相は一変しました。それまでの「観る祭り」から「参加する祭り」へ。鳴子を手に、市民が自ら踊ることで、観客と演者の境界が消えました。祭りは消費型イベントから、共創型の祝祭へと転換したのです。

多くの人でで賑わう夏の美濃源氏七夕まつり(筆者撮影)
その集大成が、毎年12月に開催される瑞浪バサラカーニバルです。2025年の第26回大会では、180チーム、約8,000人の踊り子が参加予定と発表されています。小さな地方都市の単一市民イベントとしては極めて大きな規模です。8,000人の踊り子に家族や観客、スタッフを加えれば数万人規模の人流が生まれます。冬場の観光需要が低迷しがちな地方都市において、これは明確な経済効果をもたらす仕組みです。
飲食、宿泊、交通、陶磁器などの地場産品購入といった直接的効果に加え、「瑞浪」という地名そのものの認知向上という長期的波及効果も生み出しています。毎年訪れる踊り子は、「おかみさん」木股さんを慕い集まり、単なる観光客ではなく、瑞浪に愛着を持つ「関係人口」となります。
木股廣子さんは、日本料理店「日吉屋」の女将であり、バサラ瑞浪普及振興会会長。全国の踊り会場でマイクを握り、「日本列島まん真ん中、岐阜県瑞浪市は日本一の焼き物の町!」と口上を述べ続けてきました。
これは見方を変えれば、シティプロモーションです。文化活動を通じて都市ブランドを発信する。その中心に立つのが、地域の女性リーダーであるという点も象徴的です。「燃えて!踊って!恋して…バサラ」という掛け声は、単なるスローガンではなく、地域の人々に元気をもたらすキャッチフレーズだと感じました。だからこそ、市民によるいわばダンスチームにもかかわらず、瑞浪市の観光大使にも任命されているのでしょう。
また、バサラ瑞浪は20年以上にわたり瑞浪市内の小学校と連携し、児童への踊り指導を続けています。毎週木曜・日曜に公開練習会を開催し、多世代が同じ場で汗を流します。かつて踊った子どもが大人になり、自分の子どもと再び参加するという循環構造も生まれています。
さらに、バサラ瑞浪は国土交通大臣表彰「手づくり郷土賞」を受賞しています。商店街や学校という既存インフラに文化というソフトを組み込み、都市空間に新たな意味を与えた点が評価されたのです。これは単なるイベントではなく、無形の社会資本として認定されたということです。

※30年を振り返る木股さん(右)と、永冶昌代さん(左)
本日、30年の歴史を振り返る映像を観ながら、私は強く思いました。地方創生のキモは、行政による与えられた制度や、やってもらうものではない。自分たちの街の事は自分たちより良くしていくんだと言う姿勢。最初に手を挙げた人がいたこと。そしてそれに続いたフォロワーがいたこと。その連鎖こそが瑞浪を動かしてきたのです。
水野さんの行動、永冶さんの一言。木股さんの決意。
そこから始まった小さな火種が、8,000人を動かす文化へと育ちました。
鳴子の音が響く限り、人は集い、交わり、新しい価値が生まれます。
踊りを通して人をつくり、町をつくる。
地方創生とは、情熱を持って行動する人がいるかどうかに尽きるのだと思います。そして、行政の役割は、そうした民間主導の、市民から生まれる取り組みを後押しし、側面支援をすること。
バサラ瑞浪は、その事実を30年かけて証明してきたのだと思います。
