5月25日の夜、岐阜市の長良川に特別な闇が広がりました。川沿いのホテルや民家が照明を最小限に落とし、エンジンのない観覧船だけが静かに水面を滑る。4発の花火を合図に鵜飼が始まり、篝火だけが漆黒の川を照らす——「幽玄鵜飼」と名付けられたその夜には約130人が乗船しました。

観覧前には長良川うかいミュージアムで日本舞踊家・谷口裕和さんによる奉納舞が披露され、食事は岐阜市内の飲食店が手がけた特別仕立ての弁当。通常の鵜飼では見られない「特別総がらみ」と呼ばれる演目も設けられ、参加者は鵜舟が間近に並走する光景を楽しみました。地元の有志でつくる実行委員会が、市の「一日貸切鵜飼」サービスに応募して実現させた、年に一度の試みです。
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※写真提供:実行委員会、撮影:Atsushi Kondo

この企画を知ったとき、私は観光地のあり方について、あらためて考えさせられました。

■鵜飼が抱える構造的な制約

長良川の鵜匠は6人。正式な職名は「宮内庁式部職鵜匠」といい、代々家業として技が受け継がれています。観覧船を操る船頭の高齢化も進んでおり、受け入れられる乗船客数には物理的な上限があります。乗船料は通常日で大人4,200円、繁忙日でも5,100円。今季から1隻40万円の高級観覧船も導入されましたが、それでも観覧船全体の総キャパシティは変わりません。
つまり、「とにかくたくさんの人に来てもらう」という戦略は、鵜飼においてそもそも成立しないのです。
ではどうするか。答えはシンプルです。来客数を増やせないなら、一人ひとりの消費額を高めるしかありません。

■「入込客数」というKPIの限界

観光地の成果指標として長らく使われてきたのが「入込客数」、つまり何人が訪れたかという数字です。しかし地域経済への貢献を正確に測るなら、本来のKPIは「観光消費額」であるべきです。シンプルな掛け算で言えば、消費額=来客数×客単価。来客数の上限が決まっているなら、打てる手は客単価を上げることだけです。

これは鵜飼に限った話ではありません。日本全体の観光政策が、長年「入込客数」を中心に回ってきました。観光庁の統計によれば、2025年の訪日外国人旅行消費額は9兆4,559億円と過去最高を更新しています。旅行者数も増えていますが、注目すべきは一人当たりの旅行支出が22万9,000円と、コロナ前の2019年比で約1.4倍に達するなか、徐々に国の政策レベルでは、すでに消費額の視点が重視される方向に動いています。
しかし地域レベルでは、まだ「何人来たか」を競う空気が根強く残っているのではないでしょうか。

■白川郷・飛騨高山が示す「量の限界」

同じ岐阜県内で、量を追った結果として起きている現実があります。

世界遺産の白川郷には、人口約1,500人の村に年間約215万人の観光客が訪れます。一人の住民に対して1,000人以上を迎えている計算です。交通渋滞、私有地への無断侵入、ゴミの投棄——住民の生活が脅かされる場面が次々と表面化し、「オーバーツーリズム」という言葉が定着しました。飛騨高山でも外国人観光客が急増し、地元住民からは「まちが壊れていく」という声が上がっています。

観光客が増えることで地域が豊かになるはずが、住民の暮らしを圧迫し、景観を損ない、観光客自身の満足度も下がる。これが「入込客数」をKPIにした結果の行き着く先です。

■本物志向が生む持続可能性

幽玄鵜飼の参加者約130人という数字を、私はむしろ評価します。少人数だからこそ、あの静寂が生まれた。川沿いの明かりを消すことができた。篝火だけが川面を照らす、1300年前の風景に近い体験が成立した。
適正な希少性のなかで、適正な対価を払える人を招く。これは単なる「高級化」ではありません。希少な文化資源を守りながら、それに見合う価値を提供し、地域経済を持続させる戦略です。
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※写真提供:実行委員会、撮影:Atsushi Kondo

実行委員会代表の笹生八穂子さんは
「『信長がみた漆黒の世界を再現したい』それを幽玄鵜飼とし、また今回はローカル・ラグジュアリーをテーマにして企画しました。地元の人たちが大切にしている世界観に触れていただく…ということを念頭に置きました。高付加価値は、体験したことがないような圧倒的な価値を提供できるということなのではないかなと改めて感じた次第です。これからも、このような鵜飼の世界を体験していただけたら幸せな限りです。」
と話しています。

考えてみれば、そもそも鵜飼という文化は、為政者に保護されながら今日まで受け継がれてきました。織田信長が鵜匠に職名を与え、徳川家康が鵜飼を見物し、岐阜で作らせた鮎鮨を江戸まで運ばせた。歴史的に見ても、鵜飼は「大衆に開く」より「深く愛する人が守る」文化として生きてきたとも言えます。

■観光の問いを立て直す

「何人来たか」ではなく「どれだけの価値が生まれ、観光消費額というインパクトを生み出したか」。この問いを立て直すことが、今の日本の観光地に必要だと思っています。

訪れた人が深く満足し、地域にお金が落ち、文化資源が次の世代に引き継がれる。その循環を設計することが、持続可能な観光の本質です。白川郷が「売らない・貸さない・こわさない」という住民憲章を守り続けてきたように、地域の資源には守られるべき固有の価値があります。それを安売りしないことが、長期的には地域を豊かにします。

幽玄鵜飼は、岐阜という地域が持つ文化資源の深さを、あらためて気づかせてくれる試みでした。篝火に照らされた川面の静寂は、観光のあるべき姿を問いかけているのです。