最近、大学生たちが企業のTikTokやInstagramリールを月数万円で請け負うスモールビジネスを始めているという話を、あちこちで耳にするようになった。
すると決まって、こんな声が上がる。「アプリでちょこちょこ編集しているだけじゃないか」「参入障壁が低くて将来性がない」「労働集約型の小遣い稼ぎだ」と。一見もっともらしく聞こえる。
でも、私はこの光景を見るたびに、30年前のことを思い出す。
1990年代半ば、Windows 95の登場でインターネットが一般に開かれた頃、「ホームページビルダー」を使って地元の商店のウェブサイトを作り始めた大学生たちがいた。当時の大人たちも、まったく同じように言っていたのだ。「あんなものは本格的な開発じゃない」「学生の遊びの延長だ」「HTMLが少し書けるだけで、それがいつまで通用すると思っているんだ」と。
その「軽い一歩」から、何が生まれたか。
堀江貴文氏が1996年に立ち上げたオン・ザ・エッヂは、企業のホームページ制作の請負からスタートした会社だ。当時は大企業や官公庁ですらウェブサイトをどう作ればいいのかわからず、HTMLが書ける大学生のチームに、驚くほど高単価の仕事が舞い込んでいた時代だった。しかし彼は、サイトを作る過程でサーバー運用の重要性とデータに宿る価値にいち早く気づき、ストックビジネスへ、さらにはプラットフォームビジネスへと軸足を移していった。
家入一真氏は、福岡で地元の個人商店のウェブサイトを何十件も作るうちに、ある矛盾に気づいた。「安く作ってあげても、当時のレンタルサーバーは法人向けで高額だし、専門知識がないと維持できない。これでは自分が助けたい人たちがインターネットの恩恵を受けられない」。だから自分でサーバーを作った。それがロリポップ!だ。部屋で壮大なプラットフォームを構想していたら、あの絶妙な価格設定は生まれなかっただろう。現場でクライアントの財布事情とITリテラシーのリアルを肌で知っていたから、刺さるサービスになった。
グローバルに目を向ければ、Twitterの共同創業者エヴァン・ウィリアムズも、受託のウェブ制作会社を経営するなかで「毎回HTMLを書き換えてアップロードするのは非効率だ」と感じ、社内効率化のために作ったツールが、世界初のブログサービス「Blogger」になった。それがGoogleへ売却され、そこで得た資本と経験がTwitter創業につながっていく。
三人に共通するのは、最初から「世界を変えるサービスを作ろう」と構想したわけではないという点だ。目の前のクライアントの仕事を丁寧にこなしているうちに、業界の痛点が見えてきた。その痛点を自分ごととして引き受けたから、次のビジネスが生まれた。
「ツールが民主化されたせいで誰でもできる仕事になった」という批判は、ある意味では正しい。でも、それは「だから価値がない」を意味しない。むしろ逆で、技術が凡庸化するほど、若者たちは「どう作るか」から「誰に届けて、どう動かすか」という本質的な問いに、早い段階で向き合わざるを得なくなる。
実際、動画の受託から始めた若者が歩む道はだいたいこういう流れだ。最初は「言われた通りに仕上げる」納品の段階。
しばらくすると「動画は綺麗なのに全然再生されない」とクライアントに詰められる。そこで視聴維持率を分析し、冒頭2秒の構成を変え、サムネイルを試行錯誤し始める。気がつけば「SNSマーケター」になっている。
さらに進むと「再生数は伸びたのに売上につながらない」という壁が来る。そこではじめて、クライアントの商品設計や採用の流れ、ブランドの方向性まで一緒に考えるようになる。気がつけば、経営の相談相手になっている。
「スマホで動画を切り貼りしていた大学生」が、数年後には「企業の売上を変えるマーケティングパートナー」になる。このダイナミズムを生み出しているのが、受託ビジネスという現場の圧倒的な熱量だと思っている。
スマホと編集アプリと若い感性だけを持ち込んで、借金も在庫も抱えずに始められる。失敗しても致命傷にならない。この「許容可能な損失の小ささ」こそ、何者でもない若者が打席に立ち続けるための、おそらく最善の入口だ。
もちろん、生成AIが動画編集を自動化する速度は今後も上がり続けるだろう。「ただ編集できるだけの人」が淘汰されていく流れは、WordPressがHTMLコーダーを駆逐したのと同じ構造で、確実にやってくる。
ただ、クライアントが言語化できない悩みを引き出す力や、現場の泥臭い実務の中でだけ見える「次の時代の問い」を発見する嗅覚は、AIには代替できない。セミナーで起業論を学ぶより、自分の動画に「これじゃ問い合わせが来ない」と詰められて胃を痛める夜の方が、ビジネスパーソンとしてはるかに育つ。
「スマホで動画を切り貼りしているだけ」と一蹴するのは簡単だ。でも30年前、ホームページビルダーを開いた大学生を笑った大人たちも、同じことを言っていた。あの時の「軽い一歩」が何を生んだかは、もう歴史が答えを出している。
今、スマホを片手にクライアントを奔走している若者たちの中に、10年後の日本を動かす起業家が混じっていると、私は思っている。

すると決まって、こんな声が上がる。「アプリでちょこちょこ編集しているだけじゃないか」「参入障壁が低くて将来性がない」「労働集約型の小遣い稼ぎだ」と。一見もっともらしく聞こえる。
でも、私はこの光景を見るたびに、30年前のことを思い出す。
1990年代半ば、Windows 95の登場でインターネットが一般に開かれた頃、「ホームページビルダー」を使って地元の商店のウェブサイトを作り始めた大学生たちがいた。当時の大人たちも、まったく同じように言っていたのだ。「あんなものは本格的な開発じゃない」「学生の遊びの延長だ」「HTMLが少し書けるだけで、それがいつまで通用すると思っているんだ」と。
その「軽い一歩」から、何が生まれたか。
堀江貴文氏が1996年に立ち上げたオン・ザ・エッヂは、企業のホームページ制作の請負からスタートした会社だ。当時は大企業や官公庁ですらウェブサイトをどう作ればいいのかわからず、HTMLが書ける大学生のチームに、驚くほど高単価の仕事が舞い込んでいた時代だった。しかし彼は、サイトを作る過程でサーバー運用の重要性とデータに宿る価値にいち早く気づき、ストックビジネスへ、さらにはプラットフォームビジネスへと軸足を移していった。
家入一真氏は、福岡で地元の個人商店のウェブサイトを何十件も作るうちに、ある矛盾に気づいた。「安く作ってあげても、当時のレンタルサーバーは法人向けで高額だし、専門知識がないと維持できない。これでは自分が助けたい人たちがインターネットの恩恵を受けられない」。だから自分でサーバーを作った。それがロリポップ!だ。部屋で壮大なプラットフォームを構想していたら、あの絶妙な価格設定は生まれなかっただろう。現場でクライアントの財布事情とITリテラシーのリアルを肌で知っていたから、刺さるサービスになった。
グローバルに目を向ければ、Twitterの共同創業者エヴァン・ウィリアムズも、受託のウェブ制作会社を経営するなかで「毎回HTMLを書き換えてアップロードするのは非効率だ」と感じ、社内効率化のために作ったツールが、世界初のブログサービス「Blogger」になった。それがGoogleへ売却され、そこで得た資本と経験がTwitter創業につながっていく。
三人に共通するのは、最初から「世界を変えるサービスを作ろう」と構想したわけではないという点だ。目の前のクライアントの仕事を丁寧にこなしているうちに、業界の痛点が見えてきた。その痛点を自分ごととして引き受けたから、次のビジネスが生まれた。
「ツールが民主化されたせいで誰でもできる仕事になった」という批判は、ある意味では正しい。でも、それは「だから価値がない」を意味しない。むしろ逆で、技術が凡庸化するほど、若者たちは「どう作るか」から「誰に届けて、どう動かすか」という本質的な問いに、早い段階で向き合わざるを得なくなる。
実際、動画の受託から始めた若者が歩む道はだいたいこういう流れだ。最初は「言われた通りに仕上げる」納品の段階。
しばらくすると「動画は綺麗なのに全然再生されない」とクライアントに詰められる。そこで視聴維持率を分析し、冒頭2秒の構成を変え、サムネイルを試行錯誤し始める。気がつけば「SNSマーケター」になっている。
さらに進むと「再生数は伸びたのに売上につながらない」という壁が来る。そこではじめて、クライアントの商品設計や採用の流れ、ブランドの方向性まで一緒に考えるようになる。気がつけば、経営の相談相手になっている。
「スマホで動画を切り貼りしていた大学生」が、数年後には「企業の売上を変えるマーケティングパートナー」になる。このダイナミズムを生み出しているのが、受託ビジネスという現場の圧倒的な熱量だと思っている。
スマホと編集アプリと若い感性だけを持ち込んで、借金も在庫も抱えずに始められる。失敗しても致命傷にならない。この「許容可能な損失の小ささ」こそ、何者でもない若者が打席に立ち続けるための、おそらく最善の入口だ。
もちろん、生成AIが動画編集を自動化する速度は今後も上がり続けるだろう。「ただ編集できるだけの人」が淘汰されていく流れは、WordPressがHTMLコーダーを駆逐したのと同じ構造で、確実にやってくる。
ただ、クライアントが言語化できない悩みを引き出す力や、現場の泥臭い実務の中でだけ見える「次の時代の問い」を発見する嗅覚は、AIには代替できない。セミナーで起業論を学ぶより、自分の動画に「これじゃ問い合わせが来ない」と詰められて胃を痛める夜の方が、ビジネスパーソンとしてはるかに育つ。
「スマホで動画を切り貼りしているだけ」と一蹴するのは簡単だ。でも30年前、ホームページビルダーを開いた大学生を笑った大人たちも、同じことを言っていた。あの時の「軽い一歩」が何を生んだかは、もう歴史が答えを出している。
今、スマホを片手にクライアントを奔走している若者たちの中に、10年後の日本を動かす起業家が混じっていると、私は思っている。

