<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rdf:RDF
 xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#"
 xmlns="http://purl.org/rss/1.0/"
 xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
 xmlns:taxo="http://purl.org/rss/1.0/modules/taxonomy/"
 xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
 xmlns:syn="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
 xmlns:admin="http://webns.net/mvcb/"
 xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
>
<channel rdf:about="https://akimotoshoji.blog.jp/">
<title>秋元祥治ブログ【公式】オカビズ/武蔵野大EMC/やろまい</title>
<link>https://akimotoshoji.blog.jp/</link>
<description>「思いを言葉にし、言葉を行動に変えていく」起業家的なヒトを増やしたい。武蔵野大学アントレプレナーシップ学部教授（EMC)、岡崎ビジネスサポートセンター（オカビズ）、G-net理事（創業者）、内閣府地域活性化伝道師。人材育成・地場産業／中小企業支援・社会起業・まちづくり・地域活性化・地方創生・大学教育や人材育成についてを語るblogです。
</description>
<dc:language>ja</dc:language>
<admin:generatorAgent rdf:resource="http://blog.livedoor.com/?v=2.0" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<items>
 <rdf:Seq>
  <rdf:li rdf:resource="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51618330.html" />
  <rdf:li rdf:resource="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51617783.html" />
  <rdf:li rdf:resource="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51617413.html" />
  <rdf:li rdf:resource="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51616864.html" />
  <rdf:li rdf:resource="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51616834.html" />
  <rdf:li rdf:resource="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51616704.html" />
  <rdf:li rdf:resource="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51616648.html" />
  <rdf:li rdf:resource="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51616223.html" />
  <rdf:li rdf:resource="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51615304.html" />
  <rdf:li rdf:resource="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51614403.html" />
 </rdf:Seq>
</items>
</channel>
<item rdf:about="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51618330.html">
<title>「何人来たか」より「いくら使ったか」。岐阜・長良川から考える観光KPIの転換</title>
<link>https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51618330.html</link>
<description>5月25日の夜、岐阜市の長良川に特別な闇が広がりました。川沿いのホテルや民家が照明を最小限に落とし、エンジンのない観覧船だけが静かに水面を滑る。4発の花火を合図に鵜飼が始まり、篝火だけが漆黒の川を照らす——「幽玄鵜飼」と名付けられたその夜には約130人が乗船しま...</description>
<dc:creator>e98h0045</dc:creator>
<dc:date>2026-06-04T18:42:12+09:00</dc:date>
<dc:subject>雑感</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[5月25日の夜、岐阜市の長良川に特別な闇が広がりました。川沿いのホテルや民家が照明を最小限に落とし、エンジンのない観覧船だけが静かに水面を滑る。4発の花火を合図に鵜飼が始まり、篝火だけが漆黒の川を照らす&#8212;&#8212;「幽玄鵜飼」と名付けられたその夜には約130人が乗船しました。<br>
<br>
観覧前には長良川うかいミュージアムで日本舞踊家・谷口裕和さんによる奉納舞が披露され、食事は岐阜市内の飲食店が手がけた特別仕立ての弁当。通常の鵜飼では見られない「特別総がらみ」と呼ばれる演目も設けられ、参加者は鵜舟が間近に並走する光景を楽しみました。地元の有志でつくる実行委員会が、市の「一日貸切鵜飼」サービスに応募して実現させた、年に一度の試みです。<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/6/0/60f70d0b.jpg" width="1280" height="853" border="0" alt="Unknown-3" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
※写真提供：実行委員会、撮影：Atsushi Kondo<br>
<br>
この企画を知ったとき、私は観光地のあり方について、あらためて考えさせられました。<br>
<br>
■鵜飼が抱える構造的な制約<br>
<br>
長良川の鵜匠は6人。正式な職名は「宮内庁式部職鵜匠」といい、代々家業として技が受け継がれています。観覧船を操る船頭の高齢化も進んでおり、受け入れられる乗船客数には物理的な上限があります。乗船料は通常日で大人4,200円、繁忙日でも5,100円。今季から1隻40万円の高級観覧船も導入されましたが、それでも観覧船全体の総キャパシティは変わりません。<br>
つまり、「とにかくたくさんの人に来てもらう」という戦略は、鵜飼においてそもそも成立しないのです。<br>
ではどうするか。答えはシンプルです。来客数を増やせないなら、一人ひとりの消費額を高めるしかありません。<br>
<br>
■「入込客数」というKPIの限界<br>
<br>
観光地の成果指標として長らく使われてきたのが「入込客数」、つまり何人が訪れたかという数字です。しかし地域経済への貢献を正確に測るなら、本来のKPIは「観光消費額」であるべきです。シンプルな掛け算で言えば、消費額＝来客数×客単価。来客数の上限が決まっているなら、打てる手は客単価を上げることだけです。<br>
<br>
これは鵜飼に限った話ではありません。日本全体の観光政策が、長年「入込客数」を中心に回ってきました。観光庁の統計によれば、2025年の訪日外国人旅行消費額は9兆4,559億円と過去最高を更新しています。旅行者数も増えていますが、注目すべきは一人当たりの旅行支出が22万9,000円と、コロナ前の2019年比で約1.4倍に達するなか、徐々に国の政策レベルでは、すでに消費額の視点が重視される方向に動いています。<br>
しかし地域レベルでは、まだ「何人来たか」を競う空気が根強く残っているのではないでしょうか。<br>
<br>
■白川郷・飛騨高山が示す「量の限界」<br>
<br>
同じ岐阜県内で、量を追った結果として起きている現実があります。<br>
<br>
世界遺産の白川郷には、人口約1,500人の村に年間約215万人の観光客が訪れます。一人の住民に対して1,000人以上を迎えている計算です。交通渋滞、私有地への無断侵入、ゴミの投棄&#8212;&#8212;住民の生活が脅かされる場面が次々と表面化し、「オーバーツーリズム」という言葉が定着しました。飛騨高山でも外国人観光客が急増し、地元住民からは「まちが壊れていく」という声が上がっています。<br>
<br>
観光客が増えることで地域が豊かになるはずが、住民の暮らしを圧迫し、景観を損ない、観光客自身の満足度も下がる。これが「入込客数」をKPIにした結果の行き着く先です。<br>
<br>
■本物志向が生む持続可能性<br>
<br>
幽玄鵜飼の参加者約130人という数字を、私はむしろ評価します。少人数だからこそ、あの静寂が生まれた。川沿いの明かりを消すことができた。篝火だけが川面を照らす、1300年前の風景に近い体験が成立した。<br>
適正な希少性のなかで、適正な対価を払える人を招く。これは単なる「高級化」ではありません。希少な文化資源を守りながら、それに見合う価値を提供し、地域経済を持続させる戦略です。<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/b/6/b6dc7464.jpg" width="1280" height="853" border="0" alt="Unknown-4" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
※写真提供：実行委員会、撮影：Atsushi Kondo<br>
<br>
実行委員会代表の笹生八穂子さんは<br>
「『信長がみた漆黒の世界を再現したい』それを幽玄鵜飼とし、また今回はローカル・ラグジュアリーをテーマにして企画しました。地元の人たちが大切にしている世界観に触れていただく…ということを念頭に置きました。高付加価値は、体験したことがないような圧倒的な価値を提供できるということなのではないかなと改めて感じた次第です。これからも、このような鵜飼の世界を体験していただけたら幸せな限りです。」<br>
と話しています。<br>
<br>
考えてみれば、そもそも鵜飼という文化は、為政者に保護されながら今日まで受け継がれてきました。織田信長が鵜匠に職名を与え、徳川家康が鵜飼を見物し、岐阜で作らせた鮎鮨を江戸まで運ばせた。歴史的に見ても、鵜飼は「大衆に開く」より「深く愛する人が守る」文化として生きてきたとも言えます。<br>
<br>
■観光の問いを立て直す<br>
<br>
「何人来たか」ではなく「どれだけの価値が生まれ、観光消費額というインパクトを生み出したか」。この問いを立て直すことが、今の日本の観光地に必要だと思っています。<br>
<br>
訪れた人が深く満足し、地域にお金が落ち、文化資源が次の世代に引き継がれる。その循環を設計することが、持続可能な観光の本質です。白川郷が「売らない・貸さない・こわさない」という住民憲章を守り続けてきたように、地域の資源には守られるべき固有の価値があります。それを安売りしないことが、長期的には地域を豊かにします。<br>
<br>
幽玄鵜飼は、岐阜という地域が持つ文化資源の深さを、あらためて気づかせてくれる試みでした。篝火に照らされた川面の静寂は、観光のあるべき姿を問いかけているのです。
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51617783.html">
<title>「AIに仕事を奪われる」のではなく、AIを使う人が、使わない人の仕事を奪うだけだと思う。【AI時代のキャリア論】</title>
<link>https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51617783.html</link>
<description>「AIが来たら、仕事がなくなる」
そんな言葉を、ここのところ何度耳にしただろうか。メディアは連日この話題を取り上げ、講演会では必ずといっていいほど質問が飛んでくる。不安を煽る言説は尽きない。
でも私は、その問いの立て方そのものが、少しずれていると思っている。
...</description>
<dc:creator>e98h0045</dc:creator>
<dc:date>2026-05-13T14:54:48+09:00</dc:date>
<dc:subject>就活・働く</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[「AIが来たら、仕事がなくなる」<br>
そんな言葉を、ここのところ何度耳にしただろうか。メディアは連日この話題を取り上げ、講演会では必ずといっていいほど質問が飛んでくる。不安を煽る言説は尽きない。<br>
でも私は、その問いの立て方そのものが、少しずれていると思っている。<br>
<br>
<b>とって変わるのは「仕事」ではなく「人」だ</b><br>
<br>
AIが普及したとして、現実に何が起きるか。少し想像してみてほしい。<br>
<br>
たとえば、あなたの職場にAIツールが導入されたとする。全員が同じツールを使える環境に置かれる。さて、そのとき何が起きるか。<br>
全員が使いこなすようになるだろうか？<br>
<br>
おそらく、そうはならない。<br>
<br>
熱心に触り始める人が数人いて、試行錯誤しながら業務に組み込んでいく。一方で「なんとなく難しそう」「自分には関係ない」と距離を置く人も、必ず出てくる。これは容易に想像できる光景のはずだ。<br>
<br>
つまり、起きることはシンプルだ。<br>
<b>AIを使う人が、使わない人にとって変わる。</b><br>
<br>
仕事が消えるのではなく、仕事をする人が入れ替わる。これが実態に近いのではないか。<br>
歴史は、ずっと同じ構図を繰り返してきた<br>
この構図、実はまったく新しいものではない。<br>
<br>
YouTubeが登場したとき、誰でも動画を発信できるようになった。Instagramが普及したとき、誰でも写真一枚でブランドを作れる時代になった。TwitterをはじめとするSNSが広がったとき、個人が世界に向けて情報発信できる環境が整った。<br>
<br>
「これからはSNSの時代だ」と言われ、確かに誰もが使える状況になった。<br>
<br>
でも、振り返ってみれば、実際に使い続けた人はごく一部だった。<br>
<br>
毎日コンテンツを作り、試行錯誤しながら発信を続けた人たちが、やがてインフルエンサーになった。ビジネスでの集客を実現した。新しいキャリアを切り拓いた。一方で、「自分には向いていない」「忙しいから」と手を止めた人たちは、その波に乗り損ねた。<br>
<br>
誰でもできる状況になったとき、やる人とやらない人に分かれる。そして、やる人がやらない人の役割を担うようになっていく。これは、テクノロジーが変わるたびに繰り返されてきたことだ。<br>
<br>
<b>「できる」と「やる」の間にある、深くて広い川</b><br>
<br>
なぜ、こんなにも差がつくのか。<br>
<br>
能力の問題ではない。AIに関していえば、今やスマートフォンさえあれば誰でも触れる。無料で使えるツールも溢れている。情報も豊富だ。学ぼうと思えば、いくらでも学べる環境がある。<br>
<br>
それでも、やらない人が圧倒的多数を占める。<br>
<br>
理由は単純で、「できる」と「やる」の間には、思いのほか深くて広い川が流れているからだ。川を渡るのに必要なのは、高度なスキルではない。渡ろうとする意志と、最初の一歩だけだ。<br>
<br>
そしてこの川を渡れるかどうかが、これからの時代における最大の分岐点になると、私は考えている。<br>
<br>
まず「触ってみる」こと、それだけでいい<br>
<br>
では、何をすればいいのか。<br>
答えはシンプルだ。とにかく触ってみること。それだけでいい。<br>
<br>
使いこなせるかどうかは、最初の段階では関係ない。正しい使い方を完璧に習得してから始めよう、などと考える必要もない。まず触れてみて、使ってみて、「あ、こんなことができるのか」「これは自分の仕事に使えそうだ」という感覚を体で覚えていく。その繰り返しが、やがて大きな差を生む。<br>
<br>
学ぶとはそういうことだと思う。教科書を読んで理解してから実践するのではなく、実践の中で理解が深まっていく。AIも同じだ。<br>
<br>
私自身、日々の仕事の中でAIツールを試し続けている。うまく使えることもあれば、期待外れのこともある。でもその試行錯誤そのものが、自分の「使える引き出し」を増やしていく。<br>
<br>
「まだ準備が整っていない」と思っている間に、やっている人との差はどんどん開いていく。<br>
<br>
<b>問うべきは「奪われるか」ではなく「使うか」だ</b><br>
<br>
「AIに仕事を奪われますか？」<br>
<br>
この問いへの私の答えは、こうだ。<br>
<br>
AIに仕事を奪われるのではない。AIを使う人に、仕事を渡すことになる。その主語は、自分自身だ。<br>
<br>
YouTube、Instagram、SNS&#8212;&#8212;あらゆるテクノロジーの波において、乗りこなした人たちに共通していたのは、特別な才能でも潤沢な資金でもなかった。「面白そうだから、やってみよう」という軽やかな一歩だった。<br>
<br>
時代の最先端と言われるAIも、今この瞬間、触れることができる。<br>
あなたは、触ってみるだろうか、どうだ<br>
<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/4/7/47c9f658.jpg" width="1024" height="572" border="0" alt="Unknown-2" hspace="5" class="pict"  /><br />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51617413.html">
<title>旅が広げるのは「景色」じゃなくて「感情の射程距離」だ</title>
<link>https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51617413.html</link>
<description>4月の隙間を縫って、数日間インドに行ってきた。
初めてのインド。正直、出発前は「どんな場所なんだろう」という漠然とした期待と、ちょっとした不安が混ざり合っていた。でも帰ってきてから、思わぬことに気づいた。それは、インドという国が「自分ごと」になったというこ...</description>
<dc:creator>e98h0045</dc:creator>
<dc:date>2026-04-21T12:25:00+09:00</dc:date>
<dc:subject>雑感</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[4月の隙間を縫って、数日間インドに行ってきた。<br>
初めてのインド。正直、出発前は「どんな場所なんだろう」という漠然とした期待と、ちょっとした不安が混ざり合っていた。でも帰ってきてから、思わぬことに気づいた。それは、インドという国が「自分ごと」になったということだ。<br>
<br>
<b>空港を出た瞬間から、すでに学びは始まっていた</b><br>
飛行機を降りて、まずUberを呼んだ。インドでもUberは普通に使える。アプリで配車して、やってきた車に乗り込もうとして、ふと気づいた。<br>
スズキだ。<br>
それも、街に出てからも、走っている車を見ると、やたらとスズキが多い。小型のスズキ、少し古いスズキ、色違いのスズキ。もちろん他のメーカーも走っているけれど、とにかくスズキの存在感が圧倒的なのだ。<br>
帰国してから調べてみると、なるほど合点がいった。スズキはインド市場において長年トップシェアを誇るブランドで、現地法人のマルチ・スズキはインドの自動車産業の象徴的な存在だという。知識として知ってはいたかもしれないけれど、「あのUberの車がスズキだったな」という記憶と結びついたとき、その意味がまるで違って感じられた。<br>
だからこそ、帰国後にインドの自動車産業に関するニュースを見たとき、思わず「おっ」と身を乗り出した。スズキの株価動向も、インドでのEV普及の話題も、いきなり自分ごとになったのだ。これまでだったら確実にスルーしていたニュースが、である。<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/6/f/6f7dee0e.jpg" width="1280" height="960" border="0" alt="IMG_3938" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
<br>
<b>市場を歩いて、「人口ピラミッド」が腹落ちした</b><br>
もうひとつ、印象的な体験がある。<br>
街の市場を歩いたとき、ふと周りを見渡して気づいたことがあった。お年寄りが少ない。圧倒的に、若い人が多いのだ。<br>
活気があって、声が大きくて、動きが速い。それは単に「インド人は元気だな」という話ではなく、明らかに年齢構成そのものが日本とは違うという感覚だった。日本の商店街や公共交通機関と比べると、その違いは一目瞭然だ。<br>
帰国後、ふとした機会に世界の人口推移や各国の人口ピラミッドを見ていたとき、思わず「そうだ、そういうことか」と声が出た。インドの人口ピラミッドは、若年層が分厚い典型的な発展途上型。平均年齢も日本より20歳近く若い。グラフとして眺めれば「ふーん」で終わっていたはずの数字が、あの市場の熱気と重なって、はじめてリアルな実感を持って迫ってきた。<br>
数字は現地を歩いてはじめて「意味」になる。そういうことだと思う。<br>
<br>
<b>ニュースの読み方が変わった</b><br>
こうして帰国してすぐ、いつものようにニュースをチェックしていたとき、ふとあることに気づいた。<br>
「インド」という単語が目に入ったとき、これまでとは明らかに違う感覚があったのだ。<br>
インドの自動車産業の動向、インドの物価上昇、インドと近隣国の外交問題……。これまでだったら「ああ、そういうこともあるんだな」と、どこか遠い世界の話として流していたかもしれない。でも今は違う。「あの市場で感じた熱気と関係があるんじゃないか」「あのUberのドライバーの生活にも影響があるのかな」と、自分の関心事として読み始めている自分がいる。<br>
たった数日で、世界に対するアンテナが一本増えた。<br>
<br>
<b>「知らない世界」と「自分の世界」の境界線</b><br>
たとえば、世界のどこかで大きな地震が起きたとする。<br>
まったく知らない国であれば、もちろん「大変だな」とは思う。でもそれは、どこかで他人事だ。ニュースとして受け取って、ため息をついて、次の記事に移っていく。<br>
でも、一度でも行ったことがある場所だったら？　あるいは、そこに友人がいたら？<br>
「大丈夫だろうか」という感情が、リアルに湧き上がってくる。地図上の点だった場所が、自分の記憶と結びついた「生きた場所」になるからだ。<br>
これは海外に限った話じゃない。日本国内でも同じだと思う。行ったことがない地域での災害と、一度でも訪れたことのある場所での災害では、心の動き方がまったく違う。人間ってそういうものだよね、と思う。<br>
<br>
<b>旅で広がるのは「景色」ではなく「感情の射程距離」だ</b><br>
旅行の価値って、どう語られることが多いだろう？<br>
「新しい景色を見られる」「異文化を体験できる」「リフレッシュになる」……どれも間違いじゃない。でも、今回インドから帰ってきて感じたのは、もっと本質的なことだった。<br>
旅とは、自分が感情移入できる世界を広げることだ。<br>
喜べる世界、楽しめる世界、心配できる世界、不思議に思える世界、悲しめる世界。そういった「感情が届く範囲」が、旅をするたびに少しずつ広がっていく。<br>
逆に言えば、旅をしていない人は、感情が届かない世界がたくさんあるということでもある。それは悪いことではないけれど、もったいないことだとも思う。<br>
<br>
<b>人生が豊かになるとは、そういうことかもしれない</b><br>
「豊かな人生」という言葉を聞いたとき、何を思い浮かべるだろうか？<br>
お金？　地位？　健康？<br>
もちろんそれらも大切だ。でも私は今回、こう思った。豊かな人生とは、喜んだり、心配したり、感動したりできる「範囲」が広い人生なんじゃないか、と。<br>
インドの話題でワクワクできる。どこかの国のニュースに胸を痛める。旅先で出会った人の暮らしを思って、祈る気持ちになる。そういう「感情が動く瞬間」の数が多ければ多いほど、人生は豊かになると思うのだ。<br>
そしてそれは、旅によってどんどん増やすことができる。<br>
<br>
さあ、どこかへ行こう<br>
インドに行って数日。たったそれだけで、スズキのニュースが気になるようになり、人口ピラミッドのグラフが急にリアルになり、街の若者の活気の意味が少しわかるようになった。<br>
「旅は非日常だから良い」という話はよく聞く。でも私が伝えたいのは、むしろ逆で、旅は日常をもっと豊かにするために行くものだということだ。帰ってきてからの毎日のニュースが、以前よりちょっと面白くなる。世界のどこかで起きていることが、自分ごととして感じられるようになる。<br>
そうやって少しずつ、感情が届く世界を広げていく。<br>
それが旅の、一番の醍醐味じゃないかと思っている。
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51616864.html">
<title>すぐには「効果もインパクトも生みそうにない若者のまちづくり」は、なぜ応援する必要があるのか。</title>
<link>https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51616864.html</link>
<description>金華山を背に、長良川のせせらぎが聞こえる岐阜市のほとり。先月大学生中心による地方創生をテーマにしたビジネスプランコンテストが行われました、全国から30名以上の大学生が集まったこの取り組みは、行政主導でもなく、補助金や助成金をもらったわけでもない。21歳の大学...</description>
<dc:creator>e98h0045</dc:creator>
<dc:date>2026-03-26T17:24:09+09:00</dc:date>
<dc:subject>岐阜のまちのこと</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[金華山を背に、長良川のせせらぎが聞こえる岐阜市のほとり。先月大学生中心による地方創生をテーマにしたビジネスプランコンテストが行われました、全国から30名以上の大学生が集まったこの取り組みは、行政主導でもなく、補助金や助成金をもらったわけでもない。21歳の大学生がこの取り組みを始めたのは「おもしろそうだったから」だ。<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/6/e/6ea4ec35.jpg" width="960" height="1280" border="0" alt="IMG_1311" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
筆者の住む岐阜市やその周辺では、大学生など若者たちが中心となったまちづくりの取り組みが続々と生まれている。とは言え、学生たちが行うまちづくりは、すぐに、経済的な効果や、事業的なインパクトを生み出しそうにはない。「学生の遊びみたいなもの：そう冷ややかに見る向きもあるだろう。しかし長期的に捉えたときに、こうした若者のチャレンジを地域全体が後押しするかどうかは大きな違いが生まれるのではないでしょうか。<br>
<br>
21歳の主催者・岩田琉我が呼び込む「外からの風」と「内の熱」<br>
<br>
今回の「ビジネスコンテスト in 岐阜市」は21歳の大学生、岩田琉我さんらが主催。この取り組みは彼の「岐阜市の課題を学生の力で解決しよう」という呼びかけから始まりました。2泊3日の行程で全国から30名もの若者が参加費を払い、集結。フィールドワークを通じて岐阜の街の魅力に出会い、そして寝る間を惜しみ、既存の価値観に縛られない「街のアップデート」の議論を重ねたのでした。<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/2/3/23116ec6.jpg" width="768" height="1024" border="0" alt="IMG_2332" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
例えば、プレゼンテーションで飛び出した「うまっち」という企画。これは、伝統文化である「鵜飼」の鵜匠と鵜のコスプレをして、岐阜公園で街コンを行うというものだ。大人から見れば一見「遊び」や「突飛な発想」に見えるかもしれないが、これもイノベーションの萌芽かもしれない。ただ、なによりもこうして街のことを真剣に学び考え議論したことにこそいみがあるはずだ。<br>
主催した岩田さんはこの挑戦を通じ、多くの地域の支援してくれる大人に出会ったという。そしてか「自分も、かっこいい大人になんなきゃな」という決意を新たにしたという。<br>
<br>
地元の鉄道を残した、と動き出した11歳の小学5年生<br>
<br>
この春、東京大学を休学し、地元・岐阜の地域づくりにより時間を投入したいと言う若者がいる。池田町出身、高橋秀歩さんだ。高橋さんの歩みは、小学3年生の時に抱いた「養老鉄道が将来なくなるかもしれない」という小さな危機感から始まった。日常で慣れ親しんだローカル鉄道が、廃線の危機にあると小学校の授業の中で知り、夏休みの自由研究で鉄道の守り方を調べたという。そして、小学5年生からは町内にある3つの駅を毎月第3日曜日に掃除するという「目の前の小さな行動」を積み重ねてきた、実践者だ。<br>
11歳の少年が始めた掃除が、21歳になった今、多くの仲間を巻き込む「養老鉄道応援団」という大きなコミュニティへと育ち、マルシェの開催など新たな賑わいを生んでいる。高橋さんの「気がついたときに、気がついた人が、気がついたことを始める」という姿勢は、私たち大人に「社会の当事者」であることの原点を突きつける。<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/3/d/3d4a64bd.jpg" width="1108" height="1109" border="0" alt="495261765_547343548412943_6438354694251767390_n" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
しかし、こうした取り組みは美談だとしても、すぐには「効果もインパクトも生みそうにない」のもまた事実だろう。では、なぜこうした若者の挑戦を応援することが重要なのだろうか。<br>
<br>
「励ましキャピタル」が地域活力を生み出す源泉だと思う<br>
<br>
こうした若者たちの活動が地域にもたらす真の価値は、目に見えるビジネスの売上だけではない。ハーバード大学のロバート・パットナムらの研究によれば、信頼とネットワークという「ソーシャルキャピタル」が豊かな地域ほど、明確な統計的メリットを享受できることが示されている。つまり、つながりが豊かな地域であればあるほど、チャレンジもしやすいし、応援を受けたりコラボレーションも生まれやすい、ということだ。<br>
また、スタンフォード大学の社会学者マーク・グラノヴェッターによれば、新しい事業や経済成長の源泉は、実は身近で強い絆からではなく、疎遠な知人や異なるコミュニティとの「ゆるいつながり」からもたらされるという。<br>
まちづくりに岩田さんや高橋さんのような若者が入ることで、既存の「町内会」や「消防団」といった強いつながりの中に、外の世界の価値観など新たな弱いつながりが持ち込まれる。若者の挑戦を応援することは、地域にイノベーションを生み出す「風穴」を開け、停滞した空気を循環させることとなるのではないでしょうか。<br>
共感からつながり、そして応援し合う中でつながりが生まれていく。まさに地域の中に励ましが資本として積み重なっていくことが地域活力を生み出していく源泉になるのではないか。その時に若者を応援すると言う事は、そのど真ん中の旗印になるのではないかと思うのです。<br>
<br>
「ジェネラティビティ」が大人を活性化させる<br>
<br>
若者支援の意義は、支援を受ける側だけに留まず、実は大人にも価値があるはずだ。ハーバード大などで教鞭をとった心理学者エリクソンが提唱した「ジェネラティビティ（次世代継承性）」という概念があります。「次世代を育てている」という実感を持つ大人は、幸福度が高く、死亡率が低いという研究結果も存在します。次の世代の若者を応援し励ますと言う事は、実は大人たち自身の幸福度に直結していると言うことなんです。そして個人の幸福だけでなく、地域の豊かさや魅力を再生産し、拡大していくと言うことにもつながっていくのではないでしょうか。<br>
<br>
 「土を耕す」という大人の役割。成果を急がない勇気<br>
<br>
私たちは、どうしても目に見える「成果」や「効率」を求めてしまいがちだ。しかし、地域に新しい花を咲かせるためには順序がある。種を植え、水をやる前に、まずはカチカチに固まった土を耕さなければならない。<br>
若者たちの小さなチャレンジ自体は、今すぐに劇的な経済効果を生むわけでも、社会問題を一掃するわけでもないかもしれない。しかし、それでいいのではないでしょうか。彼らがバットを振ること、それ自体に最大の値打ちがある。<br>
大人が果たすべき役割は、彼らのアイデアを評価・選別することではない。彼らが失敗しても笑われず、次の打席に立てるような「土壌」を耕し続けることではないでしょうか。<br>
<br>
 3月29日、学生の「本気」が形になる日。Kinka to（きんかっと）<br>
<br>
こうした「耕されてきた土壌」から今、また新たな芽が生まれます。今週末の3月29日（日）、岐阜大学の笠井万櫻さんら、学生たちが主体となって企画した地域活性化イベント「Kinka to（きんかっと）」が開催されます。岐阜城がそびえる街のシンボル、金華山の標高329mにちなみ、3月29日を「金華山の日」として定着させたいという学生たちの発想から始まったのです。 <br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/7/9/7945a9a7.jpg" width="1280" height="960" border="0" alt="LINE_ALBUM_使えそうな写真_260326_1" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
岐阜市まちなか案内人と共に登る金華山登山や、信長ゆかりの地を巡る公園内ガイド 、歴史を継承する加納高校地域研究部による研究発表や 、鵜飼観覧船の船頭による伝統文化の講話。地元企業・坂口捺染などの協力を得てキッチンカーの出店なども予定されています。<br>
<br>
チャレンジに優しい街、岐阜へ<br>
<br>
彼らの「小さなチャレンジ」自体は、今日明日に世界を変える魔法ではきっとない。しかし、後押しし、見守る大人が増えることで、土壌はより豊かに耕されていくのではないか。<br>
種を植え、水をやり、土を耕す。この一見効率の悪いプロセスの先にしか、結局は本当の意味でのイノベーションや、持続可能な地域はないのではないです。<br>
<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/e/9/e9f1c345.jpg" width="903" height="1280" border="0" alt="LINE_ALBUM_使えそうな写真_260326_2" hspace="5" class="pict"  /><br />
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51616834.html">
<title>「うちの娘が、2日間限定でお店を出します」から考える起業家教育</title>
<link>https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51616834.html</link>
<description>3月25日と26日の2日間、愛知県岡崎市の東岡崎駅隣接施設で、中学生3人によるポップアップ出店が行われます。販売されるのは、マンゴーシェイクとコーヒー、そしてハンドメイドアクセサリーです。いずれも彼女たち自身が企画し、準備してきた商品です。

私の長女うい（15歳）...</description>
<dc:creator>e98h0045</dc:creator>
<dc:date>2026-03-24T18:27:41+09:00</dc:date>
<dc:subject>雑感</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[3月25日と26日の2日間、愛知県岡崎市の東岡崎駅隣接施設で、中学生3人によるポップアップ出店が行われます。販売されるのは、マンゴーシェイクとコーヒー、そしてハンドメイドアクセサリーです。いずれも彼女たち自身が企画し、準備してきた商品です。<br>
<br>
私の長女うい（15歳）や、次女ここ（13歳）が中心となり、ハンドメイドアクセサリーを作るお友達とともに企画・出店します。単なる家族の話ではなく、教育や起業のあり方を考えるうえで示唆に富んだ実践だと考えます。<br>
<br>
長女が手がけるマンゴーシェイクは、旅行先のフィリピン・セブ島で出会ったマンゴジュース美味しさが原点です。一方で、日本では気軽にマンゴージュースやシェイクを楽しめる機会がないから自分で作って売ってみたい、と言い出したのでした。現地で複数の店舗を飲み比べ試作を重ねて商品化、食品衛生責任者講習をうけ、2年前にポップアップで販売を行いました。価格は1杯500円。誰に、どのような価値を届けるのかを考えながら自分で設定したものです。<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/9/1/91a19035.jpg" width="1280" height="960" border="0" alt="IMG_3002" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
そして今回、もう一つの柱になるのがコーヒーです。こちらは次女が小学校4年生のときに自分でコーヒー豆を選び、ブレンドを考え、味をつくってきました。子どもなので自身はコーヒーを飲めない…だからこそ、コーヒー牛乳にして美味しいブレンドというコンセプトを自身で生み出し、焙煎工房の協力を得て商品化しました。<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/9/4/943c484d.jpg" width="1024" height="1024" border="0" alt="AE8A4757-04DB-43B9-AF8D-997E261C75DD" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
ただ与えられた商品を売るのではなく、自分で選び、自分で組み合わせ、自分の感覚で形にしたものを社会に出す。その意味で、ここにも起業家精神の重要な要素がすでに含まれています。<br>
<br>
起業家精神というと、大きな事業を立ち上げることのように受け取られがちです。しかし本質はもっと手前にあります。自分なりの関心や違和感から出発し、それを誰かにとっての価値に変えてみることではないでしょうか。そして、原価はいくらなのか。価格設定は適切なのか。どうすれば価値が伝わるのか。こうした問いに向き合い、実際にお金をいただく。このプロセスは、教室の中だけではなかなか得ることができない、極めて実践的な学びです。<br>
<br>
近年、探究学習やPBLの重要性が広く語られるようになりました。私が所属する武蔵野大学アントレプレナーシップ学部を皮切りに、この春からは京都産業大学でも新たにアントレプレナーシップ教育を担う学びの場が始まります。神山高専やFC今治高校など、社会全体として、正解を覚える力だけではなく、自ら問いを立て形にしていく力の必要性が認識され始めているのだと思います。<br>
<br>
ただ、その一方で、これまでの探究学習やPBLの多くは、地域や企業から持ち込まれた課題について学校の中で考えるところまではできても、お膳立てをされたものにとどまり、踏み込めていない場合が少なくありません。もちろん、それ自体に価値はあります。しかし、どこかで「安全な学び」にとどまりやすいのも事実です。<br>
それに対し自分で商品を考え、自分で価格を決め、自分で売る。そこには、売れなければ意味がないという厳しい現実があります。だからこそ、学びの質が一気に変わります。<br>
学校の中で完結する探究から、社会の中で試される探究へ。その一歩を踏み出したとき、学びは急に生々しくなります。<br>
<br>
先日、ドルトン東京学園の安居長敏校長と対談した際にも、この点について多くの示唆をいただきました。印象的だったのは、大人が正解を配りすぎないことの大切さです。子どもや若者を、未熟だから管理すべき存在として見るのではなく、自分で学び、自分で立ち上がっていく存在として信じること。これは起業家精神教育にもそのまま重なります。<br>
<br>
私自身、中小企業支援の現場で日々感じているのは、「机上の計画」と「現場の実行」の間には大きな断絶があるということです。どれだけ立派な事業計画書を書いても、実際に顧客と向き合った瞬間に、想定通りにはいかないことがほとんどです。むしろ重要なのは、そのズレをどう捉え、次にどう活かすかです。<br>
<br>
これまでの学校教育では、失敗しないことが重視されがちでした。けれど本当に必要なのは、失敗しないことではなく、失敗してももう一度立ち上がれることではないでしょうか。最近では、単に試して失敗するという意味でのトライアンドエラーだけでなく、エラーから学び、次へ進むという意味で、エラーアンドラーンという考え方も注目されています。うまくいかなかったこと自体に意味があるのではありません。その失敗をどう捉え直し、次の一手につなげるかが大事なのです。<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/c/1/c17e421c.jpg" width="960" height="1280" border="0" alt="FullSizeRender" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
ポップアップのような小さな実践は、そのための絶好の機会です。うまくいくこともあるでしょうし、思ったように売れないこともあるでしょう。しかし、むしろそのズレこそが学びになります。なぜ売れたのか。なぜ売れなかったのか。どこに仮説との違いがあったのか。それを自分の言葉で振り返り、次に活かす。このプロセスこそが、起業家精神の核心にあると私は思います。<br>
<br>
今回の取り組みは、たった2日間の小さな商いです。しかし、その中には、これからの教育に必要な要素が凝縮されています。自分で問いを立てること。自分で決めること。自分でやってみること。そして結果から学ぶことです。<br>
<br>
「うちの娘が店を出します」。この一言で終わらせてしまえば、単なる個人的な出来事です。しかし、その背景にある構造や意味に目を向ければ、そこには教育の未来を考えるヒントがあります。探究学習やPBLが次の段階へ進むためにも、こうした実践の場はこれからますます重要になっていくはずです。<br>
<br>
<blockquote>◎ポップアップ概要<br>
日時　　　　 ： 2026年3月25日(水)、26日(木)　各11:00～17:00<br>
場所　　　　 ： 東岡崎駅SWING MALL　3階<br>
　　　　　　　　TODOKERU Coffee&Beer(愛知県岡崎市美合町つむぎ南1番1)<br>
詳細Instagram： https://www.instagram.com/20260325.26okazaki/</blockquote>
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51616704.html">
<title>大学の卒業は終わりではなく、むしろこれから一緒に社会を良くしたり、地域を良くするスタートだと思った話</title>
<link>https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51616704.html</link>
<description>武蔵野大学アントレプレナーシップ学部で、今年も卒業式の季節を迎えた。5年前、学部の立ち上げからご一緒してきたこの場で、今年は2期生が卒業していった。

もちろん、全員が同じタイミングで卒業するわけではない。休学しながら自分のプロジェクトに取り組んでいる学生も...</description>
<dc:creator>e98h0045</dc:creator>
<dc:date>2026-03-17T11:51:00+09:00</dc:date>
<dc:subject>雑感</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[武蔵野大学アントレプレナーシップ学部で、今年も卒業式の季節を迎えた。5年前、学部の立ち上げからご一緒してきたこの場で、今年は2期生が卒業していった。<br>
<br><img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/d/e/dedaeab0.png" width="1280" height="803" alt="IMG_2821" id="51994660" class="pict"><br>
もちろん、全員が同じタイミングで卒業するわけではない。休学しながら自分のプロジェクトに取り組んでいる学生もいるし、学外での挑戦に力を注いでいる学生もいる。だから「みんなそろって卒業」というわけではないのだけれど、それでもこうして2度目の節目を迎えられたことには、やはり感慨がある。<br>
<br>
大学教員という仕事をこうして担わせていただいて、本当によかったと思う。学生たちに学びの機会を届けることはもちろんだが、実は私自身が多くを学び、成長させてもらっている。そういう意味でも、この5年間は自分にとってとても大きな時間だった。<br>
<br>
卒業のタイミングになると、学生に贈る言葉を求められることが多い。そんなとき、私が繰り返し伝えていることがある。<br>
<br>
それは、これまでは「先生と学生」という関係だったかもしれないけれど、卒業したら、あるいは自分の道を歩み始めたら、もう単なる「教える側」と「学ぶ側」ではない、ということだ。本来は大学時代からそうあるべきなのかもしれないが、社会に出ていくこれからは、私たちは一緒に世の中を良くしていく仲間なのだと思う。地域を良くし、社会を良くしていくために、共に学び、共に挑戦し、時にコラボレーションしていく。そんな関係になっていけることを、私はとても楽しみにしている。<br>
<br>
そんなことを話しながら、ふと自分自身のことを振り返った。すると、やはり本当にそうだなと思わされた。<br>
<br>
今回、2期生の卒業式の後に謝恩会が新宿で開かれた。場所は歌舞伎町の近く。そこから歩いて5分ほどのところに、実は私が学生時代に住んでいた場所がある。そしてそのマンションの４軒となりで暮らしていたのが、今、武蔵野大学でともに教授を務めている池本修悟くんなのだ。（ま、かれは４年たって法政大学の教授に移り、いまはEMCは客員教授だけれどね）<br>
<br>
学生時代の仲間と、時間の流れの中で離れたり、またつながったりしながら、こうして今は同じ大学で一緒に仕事をしている。それだけでも、なんだか不思議で、そしてうれしいことだと思う。<br>
<br>
さらに言えば、修悟君と私の共通の恩師であり恩人でもある鈴木寛さんとも、卒業後にさまざまな形でご一緒させていただいている。学生時代には「教わる存在」だった人たちと、社会に出たあとに、今度は一緒に仕事をしたり、学び合ったりする。そんなことが実際に起きている。<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/8/1/81ea3ddc.jpg" width="1280" height="960" alt="IMG_2829" id="51994661" class="pict"><br>
振り返ってみると、学生時代の仲間や恩師たちと、学校を出たあとにもつながり続け、コラボレーションし、刺激を受け合いながら歩んできたのだとあらためて感じる。<br>
<br>
だからこそ、卒業は終わりではないのだと思う。むしろ、ここからが本当の始まりなのだろう。<br>
<br>
大学を卒業する人もいる。あるいは、卒業という形を取らずに、自分の道を歩み始める人もいる。でも、どちらにしても、それで関係が終わるわけではない。ここから先、社会の中で再会し、思いがけない形でまた一緒に何かを生み出していくことがある。学び直し、支え合い、共に挑戦していくこともある。<br>
ゼミの学生とか深い関わりが合いがあった子たちだけでなく、あんまり話はしなかったかもしれないけれど、その場を共有したと言うことも時間を経って振り返ると、やはり大きな共通点なんだと思う。実際に学生時代は大して仲良くなかったけど、大人になってからあの時同級生だったよねなんて話から親しみが湧いたり、そこから新しいことに取り組むなんて言うことも社会人になったからよくあることだし。<br>
<br>
今回の卒業式は、そんなことを自分自身の歩みと重ねながら考える機会になった。<br>
<br>
これまで学生だったみなさんへ。<br>
<br>
ここで一区切りではあるけれど、これは決して終わりではない。むしろ、ここからが始まりだ。これから同じ社会をつくっていく仲間として、またどこかで、そして何度でも、一緒に挑戦できることを楽しみにしている。よろしくね！<br><br><br>
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51616648.html">
<title>覚悟を決めるとか、決意をするっていうのは、やっぱり対話や人との出会いの中から生まれることに違いないない</title>
<link>https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51616648.html</link>
<description>すっかりご無沙汰しています、秋元です。なんだかジーネットを終えて、岡崎での中小企業支援に邁進した日々も、10年を過ぎ、改めて自分自身の次を考える中で、文章にしたり、文字にして発信することも大事なんじゃないかと思い、思い立って、ブログ再開(笑)

……といっても...</description>
<dc:creator>e98h0045</dc:creator>
<dc:date>2026-03-13T09:57:00+09:00</dc:date>
<dc:subject>雑感</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[すっかりご無沙汰しています、秋元です。なんだかジーネットを終えて、岡崎での中小企業支援に邁進した日々も、10年を過ぎ、改めて自分自身の次を考える中で、文章にしたり、文字にして発信することも大事なんじゃないかと思い、思い立って、ブログ再開(笑)<br>
<br>
……といっても、まあ、こういうのが本当に続くのか分かりませんが、とりあえず始めてみることにします。<br>
<br>
<span style="font-size: 125%;">「現場」から「模索」の時間へ</span><br>
<br>
最近の私は、オカビズ実際の相談業務からは完全に卒業しています。全体の企画や監修といった関わりはありますが、実際に現場へ行くことがなくなったので、その分の時間を「次のチャレンジの模索」に充てています。<br>
<br>
具体的には、たくさんの人に会ってお話を聞いたり、時折記事を書いたりといった時間です。<br>
<br>
そうやって色々な人に会っていると、やはり「何をしたいのか」「どんなことを大事にしているのか」を問われます。あるいは、自分自身がそれを言葉にして話していく中で、徐々に次の決意や、やりたいこと、大事にしたいことといったものが見えてくるものだな、と感じています。<br>
<br>
<span style="font-size: 125%;">言葉にすることで生まれる循環</span><br>
<br>
そして、そうやって言葉にしているうちに、また次のチャンスや出会いが生まれて、お話が広がっていく。<br>
振り返ってみればもう8年前になりますが、著書『20代に伝えたい50のこと』の中でもそんなことを書いた気がしますが、いま改めてそれを再確認している感覚です。<br>
<br>
<span style="font-size: 125%;">ミドルエイジ・クライシスを越えて</span><br>
<br>
実は私自身、ここ2～3年は結構低調というか、人並みに「ミドルエイジ・クライシス」のような状態で、「次、一体どうしたらいいんだろうか」と悩んでいました。ジーネットとか、オカビズとか、山を越えて、次の登るべき山は一体なんだろうか。ただ働くことのできる時間が、あと20年から25年だと思えば、せいぜい大きな山は2つ(1つでも大変なことですが)しかないと思ったときに、どの山に狙いを定めて登るべきなのか。<br>
<br>
一方で、健康や体力というものが、20代・30代の時のようにはいかない……という感覚もあります。模索するというか、何とも言えない「くすぶっている」ような感覚がずっとありました。<br>
<br>
そんな中で、「岐阜市活性化研究所」や「岐阜塾」、さらに地方創生をテーマにしたオンラインサロンのように、とにかく自分自身が色々な人に会ったり勉強したりする機会を作ることを意図してきました。<br>
<br>
<br>
まぁしかし、やっぱり好きなものと言うのは、理屈を超えて変えがたいし、そこを軸にものを考えるって言う事は大事だなと思ったりもしました。<br>
<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/2/b/2bc1450b.jpg" width="1280" height="853" border="0" alt="_DSC3223" hspace="5" class="pict"><br>
]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51616223.html">
<title>地方創生って、結局手を上げて行動するヒトの存在だ。バサラ瑞浪30年から考える岐阜のまちづくり</title>
<link>https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51616223.html</link>
<description>2014年9月に 内閣官房に「まち・ひと・しごと創生本部」が設置され、地方創生という言葉が一気に広がりました。これまでも地域活性化やまちづくりといった言葉が語られてきましたが、地方創生とは何でしょうか。制度でしょうか。補助金でしょうか。あるいは大型開発でしょう...</description>
<dc:creator>e98h0045</dc:creator>
<dc:date>2026-02-15T21:48:49+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[2014年9月に 内閣官房に「まち・ひと・しごと創生本部」が設置され、地方創生という言葉が一気に広がりました。これまでも地域活性化やまちづくりといった言葉が語られてきましたが、地方創生とは何でしょうか。制度でしょうか。補助金でしょうか。あるいは大型開発でしょうか。<br>
<br>
岐阜県瑞浪市で開催された「バサラ瑞浪「踊りと出会って30年」イベント」に参加し、その問いに対する答えを改めて実感しました。地方創生とは、結局のところ「手を挙げて行動する人がいるかどうか」なのだということです。<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/6/1/61711ec4.jpg" width="1280" height="960" border="0" alt="IMG_2200" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
※30年記念イベントで踊りを披露するバサラ瑞浪（筆者撮影）<br>
<br>
岐阜県瑞浪市は、慶長11年（1606年）に仮宿が設けられ、同15年（1610年）に中山道細久手宿として正式に公認された歴史を持つ町です。江戸時代末期には24軒の旅籠が軒を連ね、尾張藩本陣であった「大黒屋」は現在も営業を続けています。瑞浪は400年以上前から、人を迎え入れ、人が交わることで価値を生み出してきた土地なのです。その後、美濃焼の産地として栄えてきました。<br>
しかし、20世紀後半以降、社会構造の変化や地場産業の転換、少子高齢化の進行により、中心市街地は空洞化という課題に直面しました。焼き物の町としての誇りはあっても、大きな社会の変化の中では困難の中にある、と言えるでしょう。<br>
<br>
その転機が1997年です。瑞浪商店街のおかみさん会を中心に「踊りを通してひとづくり・まちづくり」を掲げ、バサラ瑞浪普及振興会が結成されました。行政主導ではありません。北海道のYOSAKOIソーラン祭りに訪れ「地元・瑞浪でもこんなお祭りを通じて地域を盛り上げたい」と瑞浪市出身の大学生・水野孝一さん（現・参議院議員）が奮闘する様子に、地元瑞浪を良くしたいと思う大人たちが共感し、行動を始めたことがきっかけなのです。<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/6/4/64c68c2f.jpg" width="1280" height="960" border="0" alt="IMG_2173" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
※会場で放送された20歳の水野孝一さん（筆者撮影）<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/f/8/f80e5b83.jpg" width="1280" height="960" border="0" alt="FullSizeRender" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
※会場で、現在の水野孝一さんと（筆者撮影）<br>
<br>
30年イベントのステージでは、その原点が何度も語られていました。瑞浪駅前で商売を営むの永冶高三さんが「この町を何とかしたい」と大学生・水野さんに呼応し、それに商店街おかみさん会の木股廣子さんが続いたこと…そこからすべてが始まったのだと。小さな決意が、30年続く文化へと発展したのです。<br>
毎夏行われてきた瑞浪の夏祭り・美濃源氏七夕まつりにソーラン踊りが導入されたことで、祭りの様相は一変しました。それまでの「観る祭り」から「参加する祭り」へ。鳴子を手に、市民が自ら踊ることで、観客と演者の境界が消えました。祭りは消費型イベントから、共創型の祝祭へと転換したのです。<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/f/9/f9a7f6ed.jpg" width="1280" height="960" border="0" alt="66319315-419D-41AA-8082-F16822CFF337" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
多くの人でで賑わう夏の美濃源氏七夕まつり（筆者撮影）<br>
その集大成が、毎年12月に開催される瑞浪バサラカーニバルです。2025年の第26回大会では、180チーム、約8,000人の踊り子が参加予定と発表されています。小さな地方都市の単一市民イベントとしては極めて大きな規模です。8,000人の踊り子に家族や観客、スタッフを加えれば数万人規模の人流が生まれます。冬場の観光需要が低迷しがちな地方都市において、これは明確な経済効果をもたらす仕組みです。<br>
<br>
飲食、宿泊、交通、陶磁器などの地場産品購入といった直接的効果に加え、「瑞浪」という地名そのものの認知向上という長期的波及効果も生み出しています。毎年訪れる踊り子は、「おかみさん」木股さんを慕い集まり、単なる観光客ではなく、瑞浪に愛着を持つ「関係人口」となります。<br>
木股廣子さんは、日本料理店「日吉屋」の女将であり、バサラ瑞浪普及振興会会長。全国の踊り会場でマイクを握り、「日本列島まん真ん中、岐阜県瑞浪市は日本一の焼き物の町！」と口上を述べ続けてきました。<br>
これは見方を変えれば、シティプロモーションです。文化活動を通じて都市ブランドを発信する。その中心に立つのが、地域の女性リーダーであるという点も象徴的です。「燃えて！踊って！恋して…バサラ」という掛け声は、単なるスローガンではなく、地域の人々に元気をもたらすキャッチフレーズだと感じました。だからこそ、市民によるいわばダンスチームにもかかわらず、瑞浪市の観光大使にも任命されているのでしょう。<br>
<br>
また、バサラ瑞浪は20年以上にわたり瑞浪市内の小学校と連携し、児童への踊り指導を続けています。毎週木曜・日曜に公開練習会を開催し、多世代が同じ場で汗を流します。かつて踊った子どもが大人になり、自分の子どもと再び参加するという循環構造も生まれています。<br>
さらに、バサラ瑞浪は国土交通大臣表彰「手づくり郷土賞」を受賞しています。商店街や学校という既存インフラに文化というソフトを組み込み、都市空間に新たな意味を与えた点が評価されたのです。これは単なるイベントではなく、無形の社会資本として認定されたということです。<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/e/7/e77ccff1.jpg" width="1280" height="960" border="0" alt="IMG_2197" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
※30年を振り返る木股さん（右）と、永冶昌代さん（左）<br>
本日、30年の歴史を振り返る映像を観ながら、私は強く思いました。地方創生のキモは、行政による与えられた制度や、やってもらうものではない。自分たちの街の事は自分たちより良くしていくんだと言う姿勢。最初に手を挙げた人がいたこと。そしてそれに続いたフォロワーがいたこと。その連鎖こそが瑞浪を動かしてきたのです。<br>
<br>
水野さんの行動、永冶さんの一言。木股さんの決意。<br>
そこから始まった小さな火種が、8,000人を動かす文化へと育ちました。<br>
鳴子の音が響く限り、人は集い、交わり、新しい価値が生まれます。<br>
踊りを通して人をつくり、町をつくる。<br>
<br>
地方創生とは、情熱を持って行動する人がいるかどうかに尽きるのだと思います。そして、行政の役割は、そうした民間主導の、市民から生まれる取り組みを後押しし、側面支援をすること。<br>
バサラ瑞浪は、その事実を30年かけて証明してきたのだと思います。<br>

]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51615304.html">
<title>ビジネスをバリアフリーにすること、令和の楽市楽座が岐阜に、地域必要だ。</title>
<link>https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51615304.html</link>
<description>昨日岐阜県主催のシンポジウムにパネラーとして参加してきました。その中でこれからの岐阜のまちづくり重要なことは？と言うお尋ねに対して、私は挑戦と寛容性と言うふうに申し上げたんですね。

岐阜大学の出村さんが記帳公演で、地域活性化において賑わいと活力が違うと言...</description>
<dc:creator>e98h0045</dc:creator>
<dc:date>2025-12-17T12:22:02+09:00</dc:date>
<dc:subject>岐阜のまちのこと</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[昨日岐阜県主催のシンポジウムにパネラーとして参加してきました。その中でこれからの岐阜のまちづくり重要なことは？と言うお尋ねに対して、私は挑戦と寛容性と言うふうに申し上げたんですね。<br>
<br>
岐阜大学の出村さんが記帳公演で、地域活性化において賑わいと活力が違うと言う話が前提にありました。つまり賑わいと言うのは一時的なものイベント何かかもしれないけれども、新しいものを生み出して行ったり、元気にしていくエネルギーのことを活力と呼ぶんだと。つまりその活力と言うのは産業だったりビジネスだったり、さらに元をただせばそれを実現していく起業家やチャレンジャーたちだと言う話でした。（ちょっと僕の意訳ですが）<br>
ソフト捉えた時に地域で手を挙げ行動する企業家やビジネスを始める人々、あるいはアートや何か新しいものをうみだしていくようないわば挑戦者をどう増やしていくかと言うこと。そのためには人と違いを認め合い、異なることを取り組む人々を受け入れて、寛容性が重要なんじゃないかそんなことをお話ししたんですね。<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/4/5/459d1321.jpg" width="1280" height="960" border="0" alt="IMG_0635" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
※壇上で、江崎岐阜県知事と十八楼伊藤さんと自撮りｗ<br>
<br>
そして、振り返ってみれば、500年ほどまえにまさに、そうした取り組みを、岐阜で実践したのが織田信長だったんだったんじゃないかと思います。楽市楽座とは、規制を撤廃し、どんどんどんどん挑戦するようなチャレンジを促進した取り組み。いわばスタートアップの支援と集積を図ったんだと思うんですね。そしてその時に詳しく調べてみると、場所代を無料にするとか、カルテルに入っていないと出店できないとかと言うものを撤廃しただけではなくて、関所税、つまり交通税の撤廃も行ったんですよね。誰もが自由に集まってくるための環境を整えたわけです。<br>
こうしたものを総合的に一段抽象化するならば、新たに挑戦する上でのバリア、障壁を撤廃した=バリアフリーなビジネス環境・挑戦環境を整えたと言うことだと言えるわけです。<br>
<br>
私も中小企業やビジネス支援に携わって10年以上経つわけですが、結局ビジネスで行き着くところは、一人ひとりの夢ややりがいの追求だし、あるいは一人ひとりの利益の追求なわけです。行政や仕組みが個別にそれを応援すると言う事以上に大事なのは、挑戦したり、新たなことを取り組む上でのバリア、障壁を出来る限りゼロに近づけ、やりたい人にどんどんやろうと言う気持ちになっていただく仕組み、環境整備することだと思いました。<br>
<br>
まぁ、昨日のセミナーは今話題の岐阜地域にLR Tを整備すると言うことを念頭に置いたシンポジウムだったわけですが、LR Tが良いのか、あるいはそれ以外の選択肢が良いのかという事は一旦置いておいても、公共交通を整備すると言う事は、その街に人が集まってくるためのバリアを撤廃し、バリアフリーなビジネス環境を作るという意味では非常に大きな意味がある。そして、それは楽市楽座の一環でもあると言えるなと言うことに気づいたのは、意味があった時間だったと思いました。<br>
<br>
まあしかし、岐阜が好きなんですよ。やっぱ岐阜やて！<br>
<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/8/6/865b7d34.jpg" width="1280" height="854" border="0" alt="IMG_0638" hspace="5" class="pict"  /><br /><br>
※新聞記者さんに、男前に写った写真もらって、嬉しいｗ<br>

]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51614403.html">
<title>なぜ秋元は、LGBTQとかに配慮して授業するのか？と学生に聞かれた話</title>
<link>https://akimotoshoji.blog.jp/archives/51614403.html</link>
<description>武蔵野大学アントレプレナーシップ学部で教授として授業を持つことになって、もうしばらくたつんですね。で、毎回授業の感想レポートに書かれた質問に、その次の授業の冒頭にざーっと回答するんですが、こんな質問が書かれてました。

秋元さんの授業では、LGBTの人とかに配...</description>
<dc:creator>e98h0045</dc:creator>
<dc:date>2025-10-21T23:38:34+09:00</dc:date>
<dc:subject>マジバナ</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[武蔵野大学アントレプレナーシップ学部で教授として授業を持つことになって、もうしばらくたつんですね。で、毎回授業の感想レポートに書かれた質問に、その次の授業の冒頭にざーっと回答するんですが、こんな質問が書かれてました。<br>
<br>
<blockquote>秋元さんの授業では、LGBTの人とかに配慮したり、配慮しすぎてるんじゃないかと思うんですがなんでですか？</blockquote><br>
<br>
生まれた性と、自認する性が異なる人。そして、好意の対象が異性な人もいれば、同性な人もいる。そして、それぞれよくわからないという人もいる。良いとか悪いとかじゃなく、いるというのは事実。<br>
<br>
そして、いるということを知っている以上、友達や知り合いでいるんだもの。そして、6－9％程度該当者がいるという様々なレポートが出ているんだもの、じゃ、教室に60人いれば4,5人くらい当事者がいるってことだから、嫌な思いをしてほしくないってこと。で、わかってくれるひとがいるって思ってもらえたら、嬉しいな、と思うので。<br>
実際これまでの授業のときに「秋元さんが、LGBTQのことをわかってくれて授業で言葉選んでくれて嬉しかった」ってことをレポートに書いてくれた子がいて、ああ、良かったなぁって思ったわけ。<br>
<br>
それは何もLGBTQって話だけでなくて、生きづらさとか難しさって、目に見えるものばかりじゃなくて（いや、目に見えないもののほうがずっと多いと思うよ、実際）すこしでも、理解してる人がいるってことを伝えられたり、応援できたら嬉しいと思っているのです。<br>
そして、そのためにも知ることや、出会うことがとっても大事だと思ってる。<br>
<br>
例えば、つい最近ある経営者向けのセミナーしていて、参加者の方と後から話していたらセミナーはすごい喜んでくれているんです。ただ、実はパワポは見ていない…っていうの、なぜか？と聞くと発達障害の一種で、ディスレクシアだというのです。その特性から、白地の背景に黒字で書かれると文字が歪んだりうねったりするように見えちゃうそうで、読めない…と。で、黒ベースに白ヌキでスライド作ってくれれば、読めるんだって言うんです。<br>
<br>
あぁ、知らなかったなあと。気付かされたし、それくらいのことなら、どこかで時間作ってスライド作り変えよう、って思いました。なかなか、すぐできないけれど、どうせなら優しく有りたいな、と。<br>
<br>
そして、憐れみとか可哀想、とかでなくて、僕もそして僕の家族だって、何らかの理由で生きづらさを抱えることもある。誰だって、年を取れば不自由も持つし、事故にあったり病気になって、障がいが残ることだってある。子どもや家族にだって、同じコトで。<br>
<br>
だから、生きづらさを抱えてる人に出会ったから、知ったから。そして、だれもが生きづらさを抱える日が来るかもしれない、と思うから、できるだけ優しく有りたいし、仕組みやルールも整備するのは大事だな、と思うのでした。<br>
<br>
<img src="https://livedoor.blogimg.jp/e98h0045/imgs/e/a/ea05e56e.jpg" width="1280" height="854" border="0" alt="_54A1714" hspace="5" class="pict"  /><br />
]]>
</content:encoded>
</item>

</rdf:RDF>
